あのころ君は若かったにゃ。
2004.8.17にupした画像の再掲。まだ、親子3匹。
シロちゃんが引き取られて2匹になってからの写真。
5月6日、親ニャンをようやく土に帰しました。
今頃お外でのびのびしてるかな。
GW中に親ニャンを映した携帯の画像や、黒猫たちと東京で暮らしていたころの写真を整理しました。
上の画像はワタシの大好きな猫たちの後ろ姿。親ニャンがまだ細身^^
親ニャンも子ニャンも毛並みがツヤツヤ(*´Д`*)、若さがあふれてます。
ああ、懐かしい。
2004.8.17にupした画像の再掲。まだ、親子3匹。
シロちゃんが引き取られて2匹になってからの写真。
5月6日、親ニャンをようやく土に帰しました。
今頃お外でのびのびしてるかな。
GW中に親ニャンを映した携帯の画像や、黒猫たちと東京で暮らしていたころの写真を整理しました。
上の画像はワタシの大好きな猫たちの後ろ姿。親ニャンがまだ細身^^
親ニャンも子ニャンも毛並みがツヤツヤ(*´Д`*)、若さがあふれてます。
ああ、懐かしい。
さて、10日近くあいてしまいましたが、黒猫たちのヒストリー、全10回の最終話です。
なお、黒猫たちのヒストリーという別カテゴリーを作りました。まとめ読みはそちらでどうぞ。
親ニャン・子ニャン・シロちゃん;私のベットにいつも集合。おかげで私は壁にくっついて寝ていた。1999年。
黒猫たちのヒストリー、前回の続きです。
里親探しが終わり、黒猫の親子2匹と生活することにした私。次の課題は避妊手術です。
アパートで猫を飼い続けるには外には出せないし、中で飼っていてもどこからともなく外猫が集まるはず。そうなると手術させなきゃいけません。また子猫の顔を見てみたいとか、自然の摂理に逆らうのはどうなんだろう?とかいろんな考えが頭をよぎりました。手術させるのは猫を飼いたい人間のエゴかもしれないなとも思いました。
けど、この猫たちをこのまま外に放してしまうと、また野良猫が増えるだけ。
そう考えて、再び発情期にさしかかっていた親ニャンを獣医さんにつれていきました。
手術の日、動物病院にいくまでは騒がれましたけど、病院に到着してから洗濯ネットにいれられ、保育器のような機械に入れられるまでを見ていたら、全く騒がず。状況が理解できなくてびっくりしていたのかな?
手術が終わったとの報告を獣医さんから電話連絡していただいたときも、「おとなしくていい子でしたよ~」と。
飼い主的には鼻高々です(^^)
退院してうちに帰ってきた親ニャン。お留守番していた子ニャンはまだ親ニャンのおっぱいがほしいので、ゴロゴロいながら吸い付きます。ところが、親ニャンもゴロゴロいいながら自分で自分のおっぱいを体を丸めて吸うようになりました。この光景は、なんとこの先2年以上続きます。獣医さん「おっぱいが張っているのでしょう。」っておっしゃってましたが、手術の影響で子供帰りしたのかな?って私は思っています。
ところが。
術後間もないお腹の縫い目がどんどん開いてきました。確かに、子猫におっぱいをあげるときは注意したほうがいいといわれてきましたが。。。親ニャンを再度病院に連れて行き、処置してもらいました。
そんな訳で、変身して帰ってきた親ニャン。
この姿を見た子ニャンは「シャーッ!!!」と怒り出したので、エリザベスカラーをはずしてみました。
そうしたら親ニャンのことを理解したようです。
親ニャン;1週間ほど毛づくろい予防の洋服を着せられていました。
縫い目がしっかりして、服を着なくてよくなったとたん、親ニャンは毛づくろいを1時間やってました。
ジャンプもうまくできなかったし。人間は洋服を着て暮らしているのに、猫はバランスをくずしてしまうのが不思議でした。
子ニャンは生後2ヶ月半ぐらいで手術させました。
親ニャンのときと同様、術後に獣医さんから連絡がありましたが。
「無事終わりました。元気がいい子でしたよ」
・・・大騒ぎしたんだろうな。(-_-;)
2匹の避妊手術が終わり、その後東京のアパートで3年間一緒に暮らしました。
2002年、私は転職に伴い秋田の実家に戻ることになります。
当然、黒猫たちは連れて帰りたい。
このときのエピソードと、黒猫たちとの3年間のアパート暮らしの総括をまた次に。
(これでヒストリーをまとめられるかな?)
黒猫たちのヒストリー、前回の続きです。
子ニャンズ;数少ない3ショット。1999年10月ごろ。
トイレを覚え、水の飲み方を覚え、少しずつ離乳食を食べてくれるようになり、さて子猫たちをこの先どうするか。
勤め人、一人暮らしの私に合計4匹の猫の面倒なんてみることができません。里親探しを始めることにしました。
とりあえず、職場近くのペットショップに貼り紙をしました。結論から言えばまるで効果なし。
そこでインターネット。里親探しの掲示板に書き込みしました。地方じゃこういうの苦労しますけど、そこは東京。反応が早かったです。一人目の方から連絡があり、写真を送って(デジカメなんてありませんでしたから)3匹の中から選んでもらいました。黒猫の男の子に決定。もう記憶が薄れていますが、1~2週間程度できまったと思います。
それからしばらくどこからも反応なし。そこで、別の掲示板に書き込みしてみました。そうしたら白猫を希望する方から連絡がありました。これもすんなり話がまとまりました。ここまで、1ヶ月程度。
さて、最後の1匹になりました。白猫が引き取られた日の親ニャンは、引き取られていなくなった白猫を探してます。その様子をみてから、親子一緒に生活させてあげたいなあって思いがわいてきました。ほどなく、里親希望のかたからメールが届きます。この方からは血液検査で異常がないことを確認してほしいことと、抱っこが好きな猫であってほしいという条件を提示されました。検査はもちろん異常なし。抱っこうんぬんに関しては引取りを決める前に子猫に会ってから決めたいとのことで、最後の子猫、我が家の子ニャンと対面します。
・・・結局、おとなしく抱っこされてくれる猫じゃなさそうという理由で断りの連絡が来ました。
私としては、正直ほっとしました。先にも書いたとおり、親子で飼いたいなあという気持ちがすでに芽生えていたのです。
これにて、里親探しを打ち切ることにしました。
ほどなく最初の里親さんからもう1匹くださいとの連絡が来ましたが、そんな訳で断りました。最初の里親さんとはこれ以来連絡を取り合っていません。残念ながら。
白猫の里親さんは、たまに連絡を下さる方でした。画像を送ってもらったり。写真を雑誌のペット特集に投稿してくださったり。本当によくしていただいるナアと今も思っています。
・・・こういう経過で我が家の猫は黒猫2匹になりました。
まだ問題が残っています。親ニャンがまた発情するかもしれない時期にさしかかりました。
いろいろ考えて避妊手術を受けさせることにしました。
それはまた次回のお話に。
子ニャンズ;遊び疲れて仲良くお休み中。
親ニャン;部屋のど真ん中で休憩中のところ、子ニャンズにおっぱいをせがまれ『勘弁して~』って表情。
1999年10月頃
前回の続き。猫なんて飼ったことのない私と母になった親ニャンとの子育て奮闘(?)が始まりました。
まず、外猫だった親ニャンを家猫にしたため、トイレと砂を買いに行きました。これまでどおり、トイレに行きたいから外に出せニャー!!と訴えられてからあわてて買いに走ったおバカな私。けど、粗相もせず親ニャンは待っていてくれました。うちに帰って玄関でネコトイレに砂をあけたところ、すぐに用を足してくれました。
やっぱり親ニャンは元飼い猫だったのかな?
ここでも実感します。
トイレといえば子ニャンズの方。やっぱり粗相されました。犯人は今、我が家にいる子ニャンです。
子猫の飼い方についての本を参考に、粗相した現場をふきとったティッシュペーパーをトイレに置き、トイレの臭いを覚えさせました。砂も掻かせてみて。
そうしたら!
次からはトイレでしてくれるようになりました。しかも、ほかの2匹まで躾なしでトイレを覚えてくれました!
人間も家庭環境って大事だけど、動物も一緒かぁ~なんてしみじみした瞬間です。
食事や水を飲むことも兄弟なかよく、すべて見よう見まねで3匹が一緒に成長していく過程は楽しかったですよ。
水なんて、親ニャン用の水入れに恐る恐る顔を入れて、ゲホゲホむせながら一生懸命飲んでました。
大きくなるにつれて、夜中や早朝に『ミャーミャー、パタパタパタ・・・・』と子ニャンたちの運動会が毎日開催されるようになり^_^;私は寝不足の日々が続きました。けど、可愛いからすべて許せます。
けど、ペット禁止のアパートでいつまでもそんなことを続けられない。。。
里親探しを始めることにしました。そのお話は次回に。
子ニャンズ;すくすく育ちました。3匹でプロレスごっこ中。こうやってネコ社会を学んでたんだな、きっと。
子猫たちが生まれた後のお話。前回の続きです。
9月10日以降、急にスリムになった親ニャンはそれまでと違って朝にしか私のアパートを訪ねてこないようになりました。仕事から帰ってきた夜に、いつもアパートを訪れてたのに変な感じ。2~3日たって、気がつきました。
きっと、夜は子猫を外敵から守らないといけないからなんだ。
だから、朝のうちに私のところにきて食べ物をもらっていたんですよ。親ニャンの賢さに感心しきり。
さて、1999年9月15日。当時は敬老の日で祝日でした。といっても、連休ではなかったので私は単なる休養日として部屋の掃除をしていました。窓を全開にしていたら、親ニャンが登場しました。玄関が閉まっていても、窓が開いていれば開いているほうから現れます。たいしたもんです。ただ、『にゃあ』と挨拶してからのこの日の様子はちょっと違いました。せっせと掃除している私の様子をじっと伺っているように見えました。
「?」
と思ったときには親ニャンの姿がありません。
数分後。
「おーん、おーん」という妙な鳴き声で帰ってきました。白いフワフワした毛玉のようなものを咥えています。
そうです、子猫です。
親ニャン;子猫を咥えて登場!のイメージ図。2004年現在。
子ニャンと兄弟猫のシロちゃん;生後1ヶ月位。
黒猫たちのヒストリー。前回の続きです。
どんどんお腹が大きくなる親ニャン。私のアパートにはほぼ毎日通ってきます。そして、どういうわけか、狭いところによくもぐるようになりました。例えば、クローゼットの中とか。後で気がついたのですが、これは子育てをする安全な場所を探そうとする母猫の習性だったのでしょうね。
9月8日の夜、いつものように親ニャンはアパートにやってきました。食べ物を食べる様子がこの日はいつもと違います。がつがつ喰らいついては、すぐゲホッと吐き出します。それを繰り返して出て行きました。
そして、9月9日の夜。親ニャンは姿をみせませんでした。。。
まさかなあ。。。
9月10日、朝。
『あけてニャーーーー』と悲壮な鳴き声が。
ドアを開けると、そこには体がすっきり細くなった親ニャンがいました。
食べ物をだすと、ものすごい勢いで喰らいつきます。
あぁ、やっぱり。
子猫はどこにいるのかな。。。
そんな訳で、9月9日を私は子ニャンの誕生日と理解しています。もう5歳です。手のひらに収まる毛玉だったのに。
お誕生日、おめでとう。プレゼント、用意できなかったなあ。何か、考えよう。
話の続きはこの次に。
子ニャン;こんなに小さかったのが、今じゃデカくてどこでものびのびリラックス猫。
脇の白い毛がシロちゃんと兄弟の印。
うちの子ニャンの兄弟、シロちゃん(幸四郎くん);
親ニャンの彼氏が白猫くんだった証拠の品。1999年、10月頃
(゚∀゚)?←こんな顔して喜んでいいことではなかったのですが。
(私はペット禁止のアパートの住人でした。この前後の記事に書くことは、本来やっていいことではありません。)
さて、この前の記事の続きです。
ある時期から、私が住んでいたアパートの周りで、親ニャンが白猫くんと一緒に行動するのを見かけるようになりました。
これまた全く見かけたことのない猫ちゃん。
親ニャンは私を見て、にゃーと挨拶はするものの、スーッと通り過ぎるのみ。仲良しがいるってのはいいことだ。
が、しかし。
ある日、私が夕方6時半ごろ仕事から戻ったら、白猫くんと喧嘩してるように見えたんですね。
ふと思いついて、どさくさにまぎれて白猫くんのお尻を確認してみました。。。ちゃんと男の子の印がついてました。
今思うと、このとき発情してたんでしょうね。その後、何もなかったかのように親ニャンはうちに通います。
親ニャンがだんだん太っていくのが気になってしかたありません。
で、白猫くんはぱったり見かけなくなりました。
親ニャンはどうやら妊娠した模様でした。。。
さて。これは最近のシロちゃん(幸四郎くん)と我が家の黒猫たち。顔、似てるでしょ?
里親になってもらった方に、久しぶりに連絡を取りました。その時に頂いた画像です。(クリックで拡大)
・・・特に猫が好きだったわけでもない私をそう思わせた親ニャンの魔力ったら、今思うにすごいです。
いきなり出会ったのは先の記事に書いたとおり。
(全く見かけたことのない猫だったのと、人に媚びるのが上手いことから、以前は飼い猫で、引越しなどの理由で捨てられたか、それか家出猫のどちらかなんでしょうね。)
それからは、どこからともなく私が部屋に戻っていることをかぎつけてやってくるようになりました。
親ニャン;知り合ってまもなくの猫とは思えないこの態度。お腹にくびれがある!!
1999年、7月頃
当時、アパートの1階に住んでいました。端から2番目の部屋。いつも、端から2番目のドアの前で『ごめんください、にゃー』って鳴いてたんです。間違って隣に行くこともなく。これが新鮮でした。すごいなあって。ますます可愛くなりました。
で、いつも牛乳を飲み(人間が飲む牛乳で猫が下痢することなんて知りませんでした)、冷蔵庫に入っていたスライスチーズなどの適当な食べ物を与え、満足した時点で私のベットで眠ります。(実はノミまみれの身体だったことは、後で知りました。)
それで、気が向いたらドアの前に行き、開けてくれと訴えて外へ帰っていきました。
とある日、外に行った親ニャンの後をつけてみました。そしたら。
近所のマンションの植え込みにもぐりこんで用を足していたんですね。
『とにかくドアを開けて外に出せニャ』
理由がやっとわかりました。
こんな感じで親ニャンとの交流の日々が続きました。
しばらくしてから、親ニャンがほかの猫と連れ立って遊んでいるのを頻繁に見かけるようになります。それは次のエントリーで。
親ニャン;くびれってなんニャ??2004年現在。(6月10日のエントリーの再掲)
Recent Comments